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名邸アルバム・一度は見たい魅せる家
上杉伯爵邸は、明治29年(1896)に上杉家第14代で米沢藩最後の藩主の上杉茂憲(うえすぎもちのり)伯爵... 上杉伯爵邸は、明治29年(1896)に上杉家第14代で米沢藩最後の藩主の上杉茂憲(うえすぎもちのり)伯爵の本宅として、元米沢城二の丸跡に造営された。約5000坪の敷地に、建坪530坪と壮大な大邸宅で、建設には当時の金で3万7739円という巨費をかけたものだった。同じころ新築された米沢市役所は建坪125坪で建築費は4864円だったので、当時如何に壮大だったことがわかる。この新艇は、鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれ、建設の総指揮はおよび設計は茂憲側近の池田成章が担当し、当時東京帝国大学の講師であった伊東忠太の意見を参考にした。ところが大正8年(1919)5月の大火により、この大邸宅も類焼し灰燼と帰してしまった。同年の約一か月前に茂憲公は東京・本郷の邸で76歳の生涯を終えたばかりだった。 伯爵を継いだ15代上杉憲章は、主に東京で生活をしていたことから、当初は米沢の本邸の再建は見合されていた。しかし