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島津斉興 - Wikipedia
寛政3年(1791年)11月6日、9代藩主・島津斉宣の長男として江戸で生まれた。生母の実家・鈴木家は浪人で... 寛政3年(1791年)11月6日、9代藩主・島津斉宣の長男として江戸で生まれた。生母の実家・鈴木家は浪人であったため、斉興の出生後に島津家と鈴木家との間で諍いが起きている[注釈 1]。 文化元年(1804年)10月に元服、11代将軍・徳川家斉より偏諱を賜って、初名の忠温(ただよし/ただはる/ただあつ)から斉興に改名。従四位下、侍従兼豊後守に叙任。 文化6年(1809年)6月、近思録崩れの責任を取る形で父・斉宣が祖父・重豪によって強制隠居させられたため、家督を継いで10代藩主となった。しかし藩主になったとはいえ、藩政改革などの実権は重豪に握られていた。 天保4年(1833年)、重豪が89歳で大往生を遂げるとようやく藩政の実権を握り、重豪の代からの藩政改革の重鎮・調所広郷を重用して、財政改革を主とした薩摩藩の天保改革に取り組んだ。藩政改革では調所主導の元、借金の250年分割支払いや清との密貿易
2018/02/10 リンク