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平時家 - Wikipedia
平 時家(たいら の ときいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族・武士。桓武平氏高棟流... 平 時家(たいら の ときいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族・武士。桓武平氏高棟流、権大納言・平時忠の次男。官位は従四位下・右少将。平家一門でありながら、源頼朝に味方してその側近として仕えた。平家滅亡後に信時(のぶとき)と改名。 経歴[編集] 仁安3年(1168年)に六位蔵人に任ぜられ、平家一門の栄華と共に出世を重ねる。安元2年(1176年)には右近衛権少将兼伯耆守に任ぜられ、翌年には従四位下に叙せられる。 ところが、治承3年(1179年)11月、突如上総国に流刑となる。表向きはこの年の後白河法皇幽閉に関連した反平家派公家の処罰(「治承三年の政変」)によるものであったが、既に処分がほぼ終わった段階での流刑であり、平清盛の妻の甥である時家がそのような行動に関与する理由もなかった。実は時家の継母である時忠の後室・藤原領子が時家と折合いが悪かったことからこの機に乗じて夫に讒言し