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徳大寺実能 - Wikipedia
三条烏丸御所跡・徳大寺実能が鳥羽法皇に献じ御所となった、京都市中京区三条通烏丸西入ル南側 徳大寺 ... 三条烏丸御所跡・徳大寺実能が鳥羽法皇に献じ御所となった、京都市中京区三条通烏丸西入ル南側 徳大寺 実能(とくだいじ さねよし)は、平安時代後期の公卿。権大納言・藤原公実の五男。徳大寺家を興す前は、藤原実能(ふじわら の さねよし)と称していた。官位は従一位・左大臣。徳大寺家の祖。待賢門院の同母兄。久安3年(1147年)徳大寺を建立し、徳大寺左大臣と称された。 経歴[編集] 長治元年(1104年)に従五位下に叙せられる。元永元年(1118年)、璋子が鳥羽天皇の中宮になると中宮権亮、天治元年(1124年)璋子が院号宣下を受けると待賢門院別当になる。璋子の兄であることから重用され、保安3年(1122年)に権中納言に任じられた後は、左兵衛督・右衛門督・検非違使別当と累進。長承2年(1133年)には長女・幸子(22歳)を藤原頼長(14歳)と結婚させることで、摂関家と関係を強めた。保延2年(1136年
2012/02/18 リンク