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興亜院 - Wikipedia
興亜院(こうあいん、旧字体:興亞院)は、昭和13年(1938年)12月16日に開設された日本の国家機関の一... 興亜院(こうあいん、旧字体:興亞院)は、昭和13年(1938年)12月16日に開設された日本の国家機関の一つ。日中戦争によって中国大陸での戦線が拡大し占領地域が増えたため、占領地に対する政務・開発事業を統一指揮するために第1次近衛内閣で設けられた[1]。 概要[編集] 長は総裁で、内閣総理大臣が兼任した。総裁の下に副総裁4名と総務長官、政務部・経済部・文化部の各部長で構成された(副総裁は陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣・大蔵大臣の兼任であった)。現地に連絡機関として華北・蒙疆・華中・廈門に「連絡部」が設けられた[1]。華北連絡部には出張所が置かれ、後に大東亜省に改編されたときには青島総領事館となった。占領地では軍政を行うため興亜院の幹部も主に陸海軍の将校で占められた[2]。興亜院の設置は外務省の対中外交に関する権限の縮小につながり、宇垣一成外相の辞任の一因となった。昭和17年(1942年)11
2016/02/15 リンク