エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【コラム】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには(1)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【コラム】韓国文学が日本文学のように世界へ行くためには(1)
隣国の日本と比較すると、韓国文学が海外に紹介された歴史はあまりにもみすぼらしい。 文学評論家ユ・ジ... 隣国の日本と比較すると、韓国文学が海外に紹介された歴史はあまりにもみすぼらしい。 文学評論家ユ・ジョンホ氏によると、近代ヨーロッパに韓国文学を最初に紹介した人は金玉均(キム・オッキュン)を暗殺した旧韓末の保守政客・洪鍾宇(ホン・ジョンウ、1854-1913)という。 韓国人初のフランス留学生だった洪鍾宇は1892年に「春香伝」を翻案し、『Printemps Parfume(芳しい春)』というタイトルで現地で出版した。 一方、日本は早くからヨーロッパ人の文学的想像力の中に意味のある存在として定着した。 1726年に出版された『ガリバー旅行記』はすでに日本の長崎に言及している。西洋の『イソップ寓話集』はそれより80年前の1639年に日本語に翻訳されて紹介された。 韓国文学の‘井の中の蛙’状況は20世紀に入っても続く。 詩人の李根培(イ・クンベ)氏の話だ。 1981年、李氏は国内の文人を率いて海