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なぜ人は「偽善」を忌み嫌うのか? 「自分も偽善者では」と悩んだ末に気づいたこと | JBpress (ジェイビープレス)
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なぜ人は「偽善」を忌み嫌うのか? 「自分も偽善者では」と悩んだ末に気づいたこと | JBpress (ジェイビープレス)
そのグループの人たちは、善意に満ちていて、みんないい人、善男善女。皆さんそこで居心地がよさそうな... そのグループの人たちは、善意に満ちていて、みんないい人、善男善女。皆さんそこで居心地がよさそうなのだが、自分は気持ちが悪くて仕方なかった、と話す人がいた。「いや、人間ってそうじゃないだろう」という違和感が拭えなかったそうだ。 私も似たような覚えがある。みなさん善人なのに、何かがウソ臭い。何だろうこの違和感。以前、ボランティアをする人の中には、自己陶酔した人を目にすることがあった。「社会的弱者に手を差し伸べる私は素敵、あなたもどう? 私を見習ってみては?」という感じが伝わってきて、アマノジャクな私は苦手だった。だから私は、ボランティアを毛嫌いしていた。阪神大震災が来るまでは。 我を忘れた阪神・淡路大震災の惨状 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の発生直後に現場に入りそびれた私は、何を今さら、とためらっていた。すると父が「ともかく見てこい」と言うので、最初の土曜日に、西宮北口駅から歩いて