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「私は日本人だ」カザフスタンの荒野に47年、それでも名前の漢字だけは忘れなかった 【前編】もうひとつの「シベリア抑留」、軍人のみならず民間人を襲った終戦後の悲劇 | JBpress (ジェイビープレス)
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「私は日本人だ」カザフスタンの荒野に47年、それでも名前の漢字だけは忘れなかった 【前編】もうひとつの「シベリア抑留」、軍人のみならず民間人を襲った終戦後の悲劇 | JBpress (ジェイビープレス)
1946年に樺太でソ連兵に捕まり、以来、半世紀をシベリア、カザフスタンで過ごした小関吉雄氏(前列左か... 1946年に樺太でソ連兵に捕まり、以来、半世紀をシベリア、カザフスタンで過ごした小関吉雄氏(前列左から2人目)。いっしょに写っているのはカザフスタンの子、孫たち(1993年撮影、日本サハリン協会提供) 敗戦後、ソ連に占領された南樺太では「民間人」が突然逮捕された。さらに、日本に帰ろうとする者、逆に家族との再会を目指し樺太に渡ってくる者が囚人となり、ラーゲリに連行された。軍人などと異なり、組織も名簿も持たない彼らは引揚げ事業の対象外とされ、数百人にのぼるシベリア民間人抑留者は「自己意思残留者」として切り捨てられた。ノンフィクションライターの石村博子氏は、新著『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(KADOKAWA)で、実際にあった悲劇を丹念に掘り起こした。 (*)本稿は『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(石村博子著、KADOKAWA)の一部を抜粋・再編集したものです。 【前編