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『光る君へ』道長のライバル・内大臣の藤原伊周はなぜ絶頂から転落したのか? | Japan Innovation Review powered by JBpress
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『光る君へ』道長のライバル・内大臣の藤原伊周はなぜ絶頂から転落したのか? | Japan Innovation Review powered by JBpress
叔父・道長を追い抜いて昇進 NHK大河ドラマ「光る君へ」では、平安時代中期の公卿・藤原伊周を俳優の三... 叔父・道長を追い抜いて昇進 NHK大河ドラマ「光る君へ」では、平安時代中期の公卿・藤原伊周を俳優の三浦翔平さんが演じていました。叔父・藤原道長のライバルとして描かれていましたが、妹で一条天皇の中宮・定子に「皇子を産め」と執拗に迫るなど狭量な人物描写が目立ちました。では、伊周とはどのような人物だったのでしょうか。 伊周は、天延2年(974)、藤原道隆の次男として生を受けます。母は、高階成忠の娘・貴子。伊周の幸運は、父・道隆が関白と氏長者を藤原兼家(道隆の父)から譲られたことでしょう(990年)。要は、父が政権の頂点(今風に言えば総理大臣)に立ったのでした。 道隆はその後、摂政・内大臣にもなりますが、それに伴い、子の伊周もグングンと出世していくのです。伊周21歳の時、内大臣に就任。年長の叔父・道長をも追い抜いて昇進していくのでした。これは紛れもなく「親の七光り」と言うべきでしょう。伊周は順調に