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一回性から多様性へ――『Undertale』と『Deltarune』のフィクションの構造をめぐって
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一回性から多様性へ――『Undertale』と『Deltarune』のフィクションの構造をめぐって
※この文章は『UNDERTALE』ならびに『DELTARUNE』の作品の構造にかんするネタバレを含みます。 どのよう... ※この文章は『UNDERTALE』ならびに『DELTARUNE』の作品の構造にかんするネタバレを含みます。 どのような出版物も、公にむけて出版されたそのときから、それ自体の伝統に属することになる。公にむけて出版されたそのときから、文学作品は文学に、音楽作品は音楽に、ゲーム作品はゲームのものになる。すべての作品は、その作品のファンのものでもなければ、その作品の作者のものでもない。 ことわっておくが、これは著作権や金の話ではない。作品が世に出た瞬間から、その作品が人々にどのように扱われるのか、ある個人や法人が定めることはできなくなる、という話をしているのだ。私たちはジャズ喫茶で地下アイドルのレコードをかけることもできるし、それによって新しいジャンルを生むこともできるだろうし、あるいはその行為や新しいジャンルに子細な検討を加えて評論することもできる。つまるところ、この状態こそが表現の自由である。