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2011-11-18
浅野晃「大和の旅」(『祖国』昭和25年9月号〜26年12月号)*1によると、 これも後日談になるが、大和の... 浅野晃「大和の旅」(『祖国』昭和25年9月号〜26年12月号)*1によると、 これも後日談になるが、大和の旅から帰つてのち、やはり東京で柳田國男先生をお訪ねした。先生のお宅へは、終戦の年の五月ごろ、折しも空襲のまつ只中にお伺ひしたのが最後であつた。七十五歳の高齢の先生は、意気ますます壮んであつた。いまごろ北海道などでのんきに遊んでゐるなどとは飛んでもない心得ちがひだと、いきなり叱られたのには、内心すくなからずおどろいた。 「ちかごろはどんな勉強をしてるかね」 仕方がない。僕は正直に答へた。 「詩を書いてゐます」 「なに、詩だつて」 「はい」 「いまどき吟歎を事とするなんて、困つたもんだね」 吟歎を事とする−−はひどいと思つたけれども、どうしやうもない。 「先生と逆です」 僕はさう云つた。さう云つた意味は、先生も若い時は詩人であつたではないか。詩を書いてゐられたではないか。まあさういつたわけ