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甦る海上の道・日本と琉球 ~谷川健一
「根底には縄文時代以来の「海上の道」があった。この海の道は、日本列島と琉球弧のあいだの往来の道で... 「根底には縄文時代以来の「海上の道」があった。この海の道は、日本列島と琉球弧のあいだの往来の道であった。その道を「物への欲望」を担い、「心の渇望」を抱いた人々が南北にとだえることなく往き来した。そこにはまぎれもなく相互の親和力があった。ここにして思うのは、幾千年このかたの「海上の道」をかけ橋としてつづいてきた日本本土と琉球の縁のふかさ、血の濃さである――。」 含蓄深い名書に出会ったなという印象。稲作は南島を北上して九州から日本各地に広まったと説いてみせた柳田国男の名著「海上の道」に比類すべき価値があるのではないかと思いつつ読みました。 8つの章立てにより、九州西海岸と南島との関係について、数々の文献資料と豊かな想像力をもとに展開。その中でもとりわけ圧巻なのは、第5章の「相良氏と名和氏――南朝残党の道」でしょう。 第一尚氏のはじまりは、肥後八代(やつしろ)の名和氏の一統あるいはその分派と称す