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【歴史】Sabosanの淡路・徳島漫遊記 その3/鳴門海峡(大鳴門橋架橋記念館)と紀淡海峡(洲本城)の絶景を堪能する - 企業法務担当者のビジネスキャリア術
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前回の続き。 1.鳴門海峡を間近で鑑賞 車で徳島市を離れて淡路島に向かう途中にトイレ休憩をかねて立... 前回の続き。 1.鳴門海峡を間近で鑑賞 車で徳島市を離れて淡路島に向かう途中にトイレ休憩をかねて立ち寄ったのが大鳴門橋架橋記念館。 この施設では、鳴門海峡に建設された大鳴門橋架に関する資料や360度シアターなどが展示されている。 また、屋上に登ると大鳴門橋架を含む鳴門海峡のパノラマビューが広がっており、潮風を感じつつ絶景を一望できる。この日は天気も良く、気持ちのいい時間を過ごすことができた。 2.続日本100名城 淡路水軍の城 大鳴門橋架橋記念館で、一時間ほどのんびりと過ごしてから再び北上して淡路島に渡る。目的地は淡路島南部の洲本市にある洲本城。 洲本城は、大阪湾に面した三熊山の山上に築城されており、羽柴秀吉の淡路攻めの後に配下の仙石秀久が居城とした。その後は賤ヶ岳の七本槍の一人 脇坂安治が治めたとされている。ちなみに1609年に脇坂家は伊予大洲(愛媛県)に国替えとなる。そういえば、202