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何かを信じなければ、一時として生きておれないのが人間 - 親鸞に学ぶ幸福論
【正信偈(2)】 『正信偈』について話を続けます。 親鸞聖人が「正しい信心」を、 親しみやすい歌の形... 【正信偈(2)】 『正信偈』について話を続けます。 親鸞聖人が「正しい信心」を、 親しみやすい歌の形で教えられたのが『正信偈』です。 先回お話ししたように、すべての人は何かしらの信心を持っています。 何の信心も持っていない人は、ありえません。 ちょっと考えれば分かります。 たとえば(男性限定のたとえになってしまいますが)、 床屋でひげを剃ってもらう時のことを考えてみてください。 床屋はこのとき、カミソリを用いますが、 T型カミソリでなくて、あの本格的なカミソリをのど元やあごの下にあてて、 ひげをそっていきます。 もし床屋が変な気をおこして、このカミソリを横にサーッとひいたらどうなるか。 首には脳に血液を送る太い頚動脈がありますが、 これが切られたら、一気に出血多量で死にます。 そんな頚動脈のある首筋にかみそりを当てるのですから、 赤の他人に命預けているようなものなんですが、 自分自身振り返
2018/06/04 リンク