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<悲惨日誌 第69回> マイケル・アーント② : スタジオポノック 公式ブログ
マイケル・アーントが語りだした。 マイケル「ぼくが脚本家のキャリアをスタートしたとき、手元には5本... マイケル・アーントが語りだした。 マイケル「ぼくが脚本家のキャリアをスタートしたとき、手元には5本の脚本がありました。それらの脚本は、低予算で作られることを想定していたため、家族とか恋人とかのささいな出来事などを扱ったものが多かったのですが、どこに持っていっても誰も興味を持ってはくれませんでした。大手も独立系配給会社も全部ダメで、何年たっても脚本は売れませんでした。 苦しい時期でした。ぼくは、もう脚本家をやめようと思いました。ぼくには才能は無いんだ、もう諦めようと。そして僕は傷心旅行とでも言うか、西海岸から東海岸のニューヨークまで旅をすることにしたんです。その旅行を最後に、脚本家の夢は諦めて、違う仕事を始めようと思っていました。 ニューヨークに着くと、MOMA(近代美術館)で『ジブリ回顧展』(1999)というものをやっていました。ぼくは興味があって立ち寄り、そこで、ジブリの、高畑さん、宮崎
2018/08/11 リンク