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二千六百年記念事業 その1-高千穂宮址 - miyautisanpoのブログ
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二千六百年記念事業 その1-高千穂宮址 - miyautisanpoのブログ
拙稿「鹿児島神宮ー海幸・山幸物語」で少しふれたが、霧島市隼人町の宮の杜ふれあい公園に「神代聖蹟高... 拙稿「鹿児島神宮ー海幸・山幸物語」で少しふれたが、霧島市隼人町の宮の杜ふれあい公園に「神代聖蹟高千穂宮址」碑が建てられている。 碑文を要約すると ①高千穂宮は、久しい間彦火火出見尊の皇居であった。また神武天皇が兄の五瀬命と東遷について話し合ったところである。 ②鹿児島神宮神域及び石體神社並びにその周辺が高千穂宮址である。 ③紀元2600年に当たり、高千穂宮址に遥か昔の建国を偲び、敬うために碑を建てて永遠に伝える。というようなことのようである。 碑文にあるように、この碑は二千六百年記念事業として建てられたものだ。 二千六百年記念事業として建てられた碑は、鹿児島県内あちこちにあるのだが、関心を持つ人は少ないようである。尤もこの事業が実施されたのは戦前であり、紀元という紀年法も多くの人には、なじみがないからだと思う。 ここで言う紀元は、皇紀即ち神武天皇即位紀元で、神武天皇が即位した年を元年とする