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輸入テレビゲーム機 vs. 純国産ゲーム機~ハンディゲーム機が占拠する市場で選ばれたつぎの一手──ファミコン以前のテレビゲーム機の系譜を語ろう
ファミコン以前の家庭用ゲーム機にスポットライトを当て、実機体験と当時の文献によって、どのように家... ファミコン以前の家庭用ゲーム機にスポットライトを当て、実機体験と当時の文献によって、どのように家庭用ゲーム機市場が育ってきたのか、いわば「ファミコンへと至る道」を照らす連載が、このRoad to Famicom(ロード・トゥ・ファミコン)だ。 前回まで4回にわたり、世界初の家庭用ゲーム機、黎明期のボールゲーム、そしてインベーダーゲームブームなどを追い掛け、現れては消えていったゲームハードとその市場を語ってきた。 今回は、ポスト・インベーダーの時代に、国産にこだわって新しい遊びを生み出そうとしたハードと、新しい遊びをもたらす海外製のハードが混在して市場を賑わせていた1981年~1982年の様子をお届けしよう。 この記事は、週刊ファミ通誌で2008年9月12日号から掲載された全9回にわたる短期集中連載だったもの。ナビゲーターは、プレ・ファミコン期に明るい古参ライターの武層新木朗(むそうしんきろ
2019/10/11 リンク