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「きのこの山」VS「たけのこの里」――あの国民的論争は誰が始めたのか “歴史”を明治に聞いた
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「きのこの山」VS「たけのこの里」――あの国民的論争は誰が始めたのか “歴史”を明治に聞いた
日本国民の間でしばしば「どっち派!?」と“派閥争い”が起こる、明治の「きのこの山」「たけのこの里」。... 日本国民の間でしばしば「どっち派!?」と“派閥争い”が起こる、明治の「きのこの山」「たけのこの里」。それぞれを推す人々の戦いは、真剣ながらも楽しいお祭りといった風情があります。そんな国民的お菓子はどのように生まれたのか。また“きのたけ論争”はいつどのようにして始まったのか。「きのこの山」「たけのこの里」を巡る“歴史”を、製造・販売元の明治に聞いてみました。 【画像】初代「きのこの山」「たけのこの里」のパッケージ ・・・・・・・・・・ ●「きのこの山」「たけのこの里」の誕生 “幻の村”の存在も ―― 本題である“きのたけ論争”の話に入る前に、まずはそれぞれの商品が生まれた経緯について聞かせてください 明治カカオマーケティング部・日吉さん(以下、日吉さん): きのこの山は1975年の発売ですが、開発は1969年にさかのぼります。当時明治の大阪工場ではアポロチョコの生産がはじまり小粒チョコが当社