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在宅性存在論的不安と名付けた、わたしの不安とその対処法|黒田悠介@ Commune Community Lab 所長
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在宅性存在論的不安と名付けた、わたしの不安とその対処法|黒田悠介@ Commune Community Lab 所長
なんとなく不安だな、というときに、わたしはそれをじっくりと味わいながら名前をつけることにしていま... なんとなく不安だな、というときに、わたしはそれをじっくりと味わいながら名前をつけることにしています。 不安を否定せず、むしろ積極的に受け入れて、そのうえで名付けて客体化して眺める。そうすると不思議と可愛く思えてくるから不思議です。 そんなふうににして、今わたしが感じている不安を「在宅性存在論的不安」と名付けました。もしかしたら同じタイプの不安を抱えている人がいるかもしれないので、この名付けの背景を少し書いておきます。 存在論的不安とはそもそも存在論的不安とは、存在論的安心が脅かされている心理状態です。そして、存在論的安心とは(わたしの誤読の可能性もある解釈では)社会がたしかに存在していて、そこに自分が立脚している確信のことです。 ちなみに存在論的安心という概念自体はイギリスの社会学者のアンソニー・キデンズさんが提唱した概念です。 わたしは、この存在論的安心が在宅を続けることで脅かされている