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"書き手の幸せ"に目覚めた2年間。浦和レッズ担当時代の記事、まとめてみた。|塩畑大輔
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"書き手の幸せ"に目覚めた2年間。浦和レッズ担当時代の記事、まとめてみた。|塩畑大輔
新聞社に所属していた当時から、僕は紙面向けの原稿とは別に、ネット向けのコラム記事をたくさん書かせ... 新聞社に所属していた当時から、僕は紙面向けの原稿とは別に、ネット向けのコラム記事をたくさん書かせていただいてました。 今回は2015~16年、浦和レッズ担当時代のコラムをまとめてみることにします。 自分の方向性を決めた「1本」(2015年1~5月) 2015年1月、僕は2010年以来となるサッカー担当に復帰しました。 この時に担当クラブとして割り当てられたのが浦和レッズです。 当時の監督は「ミシャ」ことミハイロ・ペトロビッチさん。オシムさんともとてもご縁のある方です。 レッズ担当として書いた最初のコラムは、自分のサッカー担当としてのルーツを知ってもらえるように、と書きました。 ネット記事の編集担当さんがつけてくださったタイトルは、ハリルホジッチさん寄りになっていますが、ミシャさんにつながるご縁の方から書いています。