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ラブコメ史における負けヒロイン概念の変遷について ─幼馴染最強時代とは何だったのか─|ペシミ
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この文章は、早稲田大学負けヒロイン研究会の会誌『Blue Lose』に寄稿したものです。完全版は会誌をお買... この文章は、早稲田大学負けヒロイン研究会の会誌『Blue Lose』に寄稿したものです。完全版は会誌をお買い求めください。 早稲田大学負けヒロイン研究会 - BOOTH 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし 松浦静山 もしもあなたが「負けヒロインが好き」な場合、主に2つのケースが想定される。1つ目は、「今まで好きになってきたヒロインが往々にして負ける場合が多い」パターン。お笑い芸人ハライチ岩井が「デス推し」と呼んでいる、応援しようとしたアイドルが往々にして解散・脱退などに見舞われてしまう現象にも似ている。 もう1つは、「負けたという結果を持つゆえにそのヒロインを好きになる」パターン。負けの匂いに敏感で、いざヒロインが負けてしまえば万歳しながら愛を叫ぶ変態である。 このとき、「pならばqである」という命題に則ると、前者は「私が好きならば負ける」という命題となり、後者は「負けならば私