エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
万葉集なのに漢文ですか|作業員
万葉集には和歌に付けられた漢文が適切に読めなければ、その歌をきちんと解釈出来ない歌があります。最... 万葉集には和歌に付けられた漢文が適切に読めなければ、その歌をきちんと解釈出来ない歌があります。最初に紹介する大伴池主が大伴家持に贈った歌四首もそうです。問題は、鎌倉時代から昭和時代までは、基本的に和歌の前に置かれた解説文となる、いわゆる、前置漢文の序文などは万葉集の和歌の鑑賞の時には考慮しない伝統があり、そのため、漢文と和歌とを一体として扱うことはしませんでした。加えて長歌や旋頭歌などは古今和歌集の短歌とは違うスタイルですので、それを和歌として適切に評価はしませんでした。また、和歌の鑑賞では古今和歌集以降の短歌だけを和歌として鑑賞するスタイルであり、同時に短歌一首ごとに単独にそれを鑑賞し、数首が一つのテーマでまとまった歌群のような形で一つの歌群として鑑賞することもしません。最大の可能性が古今和歌集でも扱われる相聞歌について、それを相聞の和歌として二首を一組として鑑賞します。時代として、古今
2024/06/21 リンク