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反出生主義のそもそもの問いは「自分は生まれてきてよかったのか?」ではなく「自分は子供を作ってもいいのか?」である—反出生主義の議論をするとき、あなたの実存はそんなに関係ない|ピーター|note
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反出生主義のそもそもの問いは「自分は生まれてきてよかったのか?」ではなく「自分は子供を作ってもいいのか?」である—反出生主義の議論をするとき、あなたの実存はそんなに関係ない|ピーター|note
反出生主義のそもそもの問いは「自分は生まれてきてよかったのか?」ではなく「自分は子供を作ってもい... 反出生主義のそもそもの問いは「自分は生まれてきてよかったのか?」ではなく「自分は子供を作ってもいいのか?」である—反出生主義の議論をするとき、あなたの実存はそんなに関係ない 0 はじめに こんにちは。ピーターです。突然反出生主義の話をするのは恐縮ですが、反出生主義が投げかけている生殖に関する倫理的問題は、正義論が真剣に考慮すべきことだと思いましたので、この記事ではそのことを述べたいと思います。 まず最初に、ベネターの基本的非対称性による反出生主義の論証を説明し、反出生主義が本当に問題にしていることを述べてなぜ実存の話はあまり関係がないかを示します。ここで簡単に結論を述べると、反出生主義は出生の行為が悪いかどうかだけを述べているのであって、実際に出生した場合に親がどのような責任を取るべきかまでは何も言ってないのです。したがって反出生主義が正しいからと言って親を攻撃していいとは必ずしも言えませ