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1960年ごろの「菊竹現象」|藤森照信─「菊竹清訓氏が述懐する丹下健三」あとがき|新建築社
再刷決定を記念しまして、『丹下健三』執筆のベースとなった『新建築』掲載の藤森照信氏によるインタビ... 再刷決定を記念しまして、『丹下健三』執筆のベースとなった『新建築』掲載の藤森照信氏によるインタビューシリーズ「戦後モダニズム建築の軌跡」を再録します。これまでの連載はこちら 菊竹さんが学生時代にたくさんコンペをしていることは知っていたが,それが生活費のためとは初耳だった. いってみれば,”懸賞金稼ぎ”の真剣勝負である. その真剣勝負で丹下さんにバッサリやられ,頭を丸めて会いに行き,次は勝ちます,と宣言した.この逸話はもちろん初耳で,菊竹さんもこれまで話さないようにしてきたそうだ. 卒業後,丹下研に一週間だけいたというのもおもしろかった.最盛期の丹下研の近寄りがたいような熱気と超多忙ぶりは,いろんな人から聞いているが,1950年のころは,菊竹さんの記憶によると,そうとうヒマだったらしい.当時の丹下研は,ピースセンターの仕事はあるものの,予算不足で思うようにはかどらないし(結局6年かかった),
2021/04/15 リンク