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意味は安全ではない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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意味は安全ではない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
前回の「徴候・記憶・外傷/中井久夫」というnoteで、人間という古くからのしくみと常にアップデートさ... 前回の「徴候・記憶・外傷/中井久夫」というnoteで、人間という古くからのしくみと常にアップデートされるしくみの混合からなる複雑な構造の生き物についてのむずかしさについて書いた。 特に、記憶のシステムがどうも厄介に思う。 どういう形式で記憶として残すか/残るかという点で、中井さんが分類しているのは、通常僕らが利用している成人型記憶と3歳以降使われなくなり基本的には消去される幼児型記憶だ。 幼児型記憶は大部分消去されるし、普通は使われないが、「たわむれに撮った写真がアルバムに貼られないまま散らばっているようなもの」として残り、どうやら外傷的障害が発生する際のトラウマ的記憶はこの幼児型記憶のしくみが使われているようである。 重層性や階層秩序性があり時間的空間的前後関係によって決定される文脈依存性をもった成人型記憶と異なり、幼児型記憶は、そうした意味性をもたない。日常的な意味をかいくぐってイメー