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占領下の抵抗 / 志賀直哉のエッセイ『国語問題』をめぐって|之哲/Yuki Satoru
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占領下の抵抗 / 志賀直哉のエッセイ『国語問題』をめぐって|之哲/Yuki Satoru
はじめに 志賀直哉の随筆はどれも面白い。その中には「フランス語を日本の国語にする」と主張した『国語... はじめに 志賀直哉の随筆はどれも面白い。その中には「フランス語を日本の国語にする」と主張した『国語問題』 [1]も含まれています。これがなんともいい。含蓄がんちくに富む文章です。 「フランス語を日本の国語にする」とだけ聞いた時と『国語問題』を通読した後とでは、印象は全く違います。そこには志賀直哉独特のアイロニーがある (ⅰ)。 しかしこれは単なる皮肉(cynicism)ではありません。志賀はフランス語を日本の国語にする事を本気で考えていたと思います。 それは11年後に座談会(『志賀氏を囲んでの芸術夜話』 [2])で、あれは本気だったと改めて強調していることからも窺うかがわれます。 『国語問題』は敗戦後まもない1946年 今ほど厳しい時代を日本はかつて経験したことがない。いろいろな問題が怒濤のように後から後から寄せてくる。茫然自失の虚脱状態になるのも無理はない。 『国語問題』[1]というよう