フクシマからの報告 2021年冬 10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続け|烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya
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フクシマからの報告 2021年冬 10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようや... フクシマからの報告 2021年冬 10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける 2021年3月で福島第一原発事故の取材を始めて10年が経つ。その10年の間、ずっと気がかりでありながら、取材をする勇気が出なかったことがある。 震災直後の2011年の春、私は福島県南相馬市に入った。同市は原発から約25㌔のところにある「浜通り」(太平洋沿岸)地方の基幹市だ。 原発から20㌔圏が国の命令で「警戒区域」として立ち入り禁止にされ、30㌔圏は屋内退避になったころの話だ。私は、まさにその20㌔・30㌔ラインで分断される前後の福島県南相馬市を取材していた。その市役所に立ち寄ったときのことだ。 海岸部は津波で破壊されていた。原発の危機がどの程度危険なのか、さらに避難が必要なのか、ニュー