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論点整理:「モテと暴力性」|小山(狂)
何やらまたもや「モテと暴力性」の話題が再燃しているらしい。 この話題が燃え続けるのは、多くの人が抱... 何やらまたもや「モテと暴力性」の話題が再燃しているらしい。 この話題が燃え続けるのは、多くの人が抱きがちな「公正世界信念」を危うくする主張だからだろう。男女の性愛は美しいものであって欲しい。それが暴力性と、暴力に惹かれる卑しい心性の結合であってなどほしくない。それは当たり前の感情で、反発を覚える方がむしろ人として真っ当であろうと自分などは思ったりもする。 さらに「暴力性」という言葉がある種の曖昧さを有しているのもまた事実だ。そのファジーさゆえに「暴力性とは積極性の言い換えに過ぎないのではないか」「暴力ではなく暴力を振るえる地位が要因だ」「非モテが暴力を振るってもモテるはずがない」という反論もまた絶えない。 そこで本稿では「モテと暴力性」にまつわる筆者の主張を改めて整理してみようと思う。本稿を読んでどのような意見・感想を抱くかは個々人の自由だ。各人が信じたいことを信じれば良い。 狭義の「暴力
2021/11/03 リンク