新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の情報発信サイトを参考にしてください。情報を見る
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
コロナ禍雑感~宇野維正・田中宗一郎『2010s』(新潮社)について|矢野利裕
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
コロナ禍雑感~宇野維正・田中宗一郎『2010s』(新潮社)について|矢野利裕
コロナ禍で明らかになったものコロナ禍によって明らかになったのは、非常時においては良くも悪くも国家... コロナ禍で明らかになったものコロナ禍によって明らかになったのは、非常時においては良くも悪くも国家の機能が強くなる、ということで、まあそれ自体は、国家や政治の定義そのものだと思います。このとき、国家の強い権力の介入(そこには、移動の制限も含むし、補償も含む)に対し、どのようなスタンスを取るかという点は、言論人のなかでも立場が分かれたように思います。というか、これまでこのあたりの問題が微妙にスルーされてきたと個人的に思っており、それがあらためて議論の俎上に乗った、という印象です。いずれにせよ、古典的な議論だとは思います。そのうえで印象を言うと、「とは言え、国家を運営するための権力発動すらまともにされず、政権の目先の保身ばかりで動いているので、国家をめぐる議論にもなりにくい」という感じです。東浩紀氏と外山恒一氏がゲンロンで対談をおこなっていたけど、ふたりは国家介入には徹頭徹尾反対なので、「移動の