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現代文学における《自閉症》の傾向①――今村夏子「こちらあみ子」、村田沙耶香『コンビニ人間』|矢野利裕
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現代文学における《自閉症》の傾向①――今村夏子「こちらあみ子」、村田沙耶香『コンビニ人間』|矢野利裕
論考「言葉のままならなさに向き合う」の後篇が『ゲンロンβ62』に掲載された。下のリンクで本文が購入で... 論考「言葉のままならなさに向き合う」の後篇が『ゲンロンβ62』に掲載された。下のリンクで本文が購入できるので、ぜひお願いいたします。以下、論考の補足として「こちらあみ子」『コンビニ人間』について論じたいと思います。 本論考においては、《一義性の時代》を語る重要なものとして自閉症スペクトラムについて言及した。ここ数年の文学において、《自閉症》は無視できないキーワードである。その最新版には、宇佐美りん『推し、燃ゆ』を挙げることができる。 とくに思い出されるのは、今村夏子「こちらあみ子」。「こちらあみ子」の語り手であるあみ子は、常識的に考えると、とても変わった言動をする。印象的なのは、庭に「弟の墓」と書かれた木の棒を立てて、流産してしまった「弟」(実際は「妹」だったわけだが)の墓をこしらえた場面。それを母に見せたあみ子は、母に「すごいね、きれいね、と言ってもらえると思った」という。そんなあみ子を