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パリのピアソラ~ナディア・ブーランジェの教え|米阪隆広 TANGO GRELIO
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パリのピアソラ~ナディア・ブーランジェの教え|米阪隆広 TANGO GRELIO
アストル・ピアソラが後に自分の師として第一に名前をあげた人物はフランスの音楽家・教育者であるナデ... アストル・ピアソラが後に自分の師として第一に名前をあげた人物はフランスの音楽家・教育者であるナディア・ブーランジェでした。 多くの著名な音楽家を育てた名教師ナディア・ブーランジェとの出会いは当時30代だったピアソラにとって、その後の人生を変えた重要な出来事でした。 ピアソラ、タンゴをやめる?パリ留学のきっかけはクラシック音楽として作曲した作品「交響曲ブエノスアイレス」がファビアン・セヴィツキー賞を受賞したことでした。(ピアソラにこの手の話は付き物ですが、初演のあと聴衆は賛否に分かれて乱闘騒ぎにそうです) この賞の一環としてフランス政府から留学のための奨学金を勝ち取ったのです。 当時のピアソラは時おり作曲や編曲の仕事は受けるものの、バンドネオンすらほとんど弾いていない状態で、旧態依然としたタンゴに見切りを付けつつある時期でした。パリへの渡航も本格的にクラシック音楽の作曲家に転向するための勉強