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わたしの推し。それは、「私」。 - pinheadladの日記
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わたしの推し。それは、「私」。 - pinheadladの日記
特別お題「わたしの推し」 どうも、絶賛腰をいわし中、ピンヘッドラッドです。 もとは、この始まりの謳... 特別お題「わたしの推し」 どうも、絶賛腰をいわし中、ピンヘッドラッドです。 もとは、この始まりの謳い文句を使いたくてブログ始めたんだった。 そうだった、そうだった、思い出したw さて、今日のお題「わたしの推し」であるが、僕は生まれてこの方、「推す」という感覚の心地よさがわからない。ので、何かを、はたまた誰かを推したことがない。 私は、生まれてこの方、生粋の「自分推し」である。すなわち、常に自分がこの世界で輝けるよう、この世界で羽ばたけるよう、「他」には目もくれず自分の背中を押し続けているのである。 よく耳にするのが、「アイドル推し」だったりするが、私にとってきっとそれはジェラシーでしかない。 ステージの中央で、他人が輝いてる姿を見るなど。何万人のオウディエンスの1人として、アイディンティティを消失したまま、ステージに手を振り続けるなど。 「コイツはなんて心が痩せ細っているんだ。」 今にも、