エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
丿貫(へちかん)のわび茶
千利休と同世代にノ貫(へちかん)という茶人がいたらしい。 戦国時代の名医、曲直瀬道三の姪婿と伝えら... 千利休と同世代にノ貫(へちかん)という茶人がいたらしい。 戦国時代の名医、曲直瀬道三の姪婿と伝えられている。 世俗を離れ、自由奔放に茶を楽しむのみ。 当時の流行だった高価な茶器を集めることもせず、 雑炊を焚いた釜を茶釜に使うほど道具に無関心だったという。 美味しいお茶を振る舞うことができれば、かたちはどうでもいい。 江戸時代に柳沢淇園が書いたとされる随筆集「雲萍雑誌」に、 名声を追い求めた利休を批判するノ貫のことばが残される。 「利休は幼なきの心は、いと厚き人なりしに、今は志薄くなりて、むかしと人物かはれり。」 「利休は人の盛なることまでを知て、惜いかな、その衰ふるところを知らざる者なり。」 利休の切腹前であれば、時の権力に近づきすぎた利休への警告、 切腹後であれば、利休を惜しむ弔辞といえるだろうか。 ノ貫は北野大茶湯の野点で秀吉に気に入られた、とされるが、 「暫しの生涯を名利のためにくる