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「信じる」のはそれが定かじゃないから - セカイノカタチ
信仰についてです。 信仰というのは、その核に「信じる」という行為があります。それは、核というよりも... 信仰についてです。 信仰というのは、その核に「信じる」という行為があります。それは、核というよりも存在の定義そのものと言ってもよく、魚屋が魚を売るように、宗教は信仰を売ります。 信仰には未知が必要です。 魚屋が魚を売ることを「信じる」必要は無くて、ただ「知れ」ばよいことです。もし、それだけでは不安なら、調べて確かめれば、容易に定かなものにすることができます。定かなものを「信じる」必要はないので、信仰の対象は必然的に「定かでない」ものということになります。 別に「田植え後にタイミングよく雨が降るか」や「かまどの火が絶えずに燃え続けるか」なんてことを信仰の対象としてもよいのですが、より確固たる未知は、何と言っても「死」です。 人類は未だに、死後の世界について確固たる事実を証明することができておらず、そこには純然たる「未知」が広がっています。そのため、古くからその未知は信仰の対象となってきました
2018/11/06 リンク