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坂本龍一のキャリアにおける映画音楽の重要性 『戦メリ』から『怒り』までの変化を追う
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坂本龍一のキャリアにおける映画音楽の重要性 『戦メリ』から『怒り』までの変化を追う
2014年7月に咽頭ガンの治療のため休養に入った坂本龍一だったが、約1年後には音楽活動に復帰し、また精... 2014年7月に咽頭ガンの治療のため休養に入った坂本龍一だったが、約1年後には音楽活動に復帰し、また精力的な姿勢をみせている。昨年からは監修を担当するCDブックの音楽全集『commons:schola』の新刊発表、2012年のトリオ・ツアーのDVD化、過去作のリイシューもあったが、なかでも大きな仕事は映画音楽だ。 復帰して最初の仕事が、『母と暮せば』(監督山田洋次)と『レヴェナント:蘇りし者』(監督アレハンドロ・G・イニャリトゥ)の音楽を並行して制作することだった。加えて、公開中の『怒り』(監督李相日)でも音楽を担当。短期間のうちに映画のサウンドトラック・アルバムを3作も発表したのだ。 坂本龍一のキャリアにおいて、映画音楽は重要なものだった。彼はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)で1979年から1980年に欧米ツアーを経験し、テクノ・サウンドで海外でも注目された。そして、坂本は自ら