エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
移転を繰り返した明智光秀の首塚の現在とは? - 立華の京都探訪帖
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
移転を繰り返した明智光秀の首塚の現在とは? - 立華の京都探訪帖
6月7月の京都旅では、織田信長に関する場所をいくつか巡ったのですが、併せて明智光秀ゆかりの地にも... 6月7月の京都旅では、織田信長に関する場所をいくつか巡ったのですが、併せて明智光秀ゆかりの地にも足を運びました。 知恩院の近くにある明智光秀の首塚 その一つがこちら、明智光秀の首塚です。 場所は知恩院、白川のほど近く。 市営地下鉄東山駅から白川沿いに南へ向かうと、わかりやすい看板が見えてきます。 英語のみならず、ハングル、中国語で案内がなされていることにも驚きです。 訪れる方は国籍問わず多いということなのでしょうか。 高札に詳細が書かれているので詳しくは触れませんが、首塚はもともとはこの場所になかったということに驚きました。 詳しい知識がないので疑問なのですが、此処が墓ではなく塚なのは何故でしょうか? 墓と塚の違いをググってみると大まかな違いはわかるのですが、どうしてこの場所が塚と呼ばれているのかという疑問は解決しませんでした。 今はこのようにお堂が建てられ、明智光秀がしっかりと祀られてい