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荒野に向かって、吼えない… エドワード・ヤンのペシミズムとオプティミズム
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荒野に向かって、吼えない… エドワード・ヤンのペシミズムとオプティミズム
ジョン・アンダーソンの『エドワード・ヤン』は、ヤンのデビュー作から遺作となってしまった『ヤンヤン... ジョン・アンダーソンの『エドワード・ヤン』は、ヤンのデビュー作から遺作となってしまった『ヤンヤン 夏の思い出』までの監督作品が一作ずつ論じられ、巻末に長いインタビューが収録されている。この「インタビュー」は、2000年と2001年のカンヌ映画祭の際に行われたものと、2001年後半から2002年前半にかけて行われたメールでのやりとりを一つにまとめたものである。 「思うに、特にアジアの子どもたちはそうなのですが、学校で習うのは「従うのはいいことだ」ということです。でも、「おい、それは正しいのか正しくないのか?」と、考える時間がないというのはよくない。そういう時間が現代はなくなっているように思えます。かつて自分に時間があってよかった。信じないための時間です。従っているかのように見せかけてはいましたけれどね」。 ヤンのこの言葉は東アジアの文化的特徴を再確認させてくれるものだが、日本の状況はといえば