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貴重な記録に!作業員として働きながらカメラに収めた「軍艦島」在りし日の光景【追憶の写真紀行】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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貴重な記録に!作業員として働きながらカメラに収めた「軍艦島」在りし日の光景【追憶の写真紀行】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
談/高橋昌嗣(写真家) 僕が軍艦島を訪れたのは、閉山の2年前、昭和47年(1972)のことだった。当時25... 談/高橋昌嗣(写真家) 僕が軍艦島を訪れたのは、閉山の2年前、昭和47年(1972)のことだった。当時25歳だったが、アルバイトで貯めたお金を使って全国を放浪していた。 あるとき、友人2人と長崎に家を借りて住もうという旅を計画して、長崎市日の出町で生活を始めた。しばらくして皆と離れ、単独で福岡県北九州市小倉の知人を訪ね、半月ほどして長崎に戻ったときのこと。玄関に「端島に行くからお前も来い」という貼り紙を見つけたのだ。 皆、持ってきたお金が尽きたころ、炭鉱作業員を募集するという告知をみつけたのだ。渡りに船と、アルバイト感覚で申し込んだ。“端島”が“軍艦島”のことだと、後から近所の人から聞いたのだから、呑気なものだ。 港から船夜8時位の便に乗り、島に着いたときは夜の21時を回っていた。真っ暗闇で、不安がよぎった。 生活場所として宛がわれたのが“30号棟”。軍艦島に残る最古の建築で、現存する日本