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苔寺の庭を作った禅僧・夢窓疎石は大の桜好きだった | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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苔寺の庭を作った禅僧・夢窓疎石は大の桜好きだった | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
取材・文/田中昭三 苔寺(こけでら)の名で親しまれている京都の西芳寺(さいほうじ)は、中世に活躍し... 取材・文/田中昭三 苔寺(こけでら)の名で親しまれている京都の西芳寺(さいほうじ)は、中世に活躍した禅僧・夢窓疎石(むそうそせき・1275~1351)ゆかりの名刹。当時の西芳寺は苔よりも春の桜、秋の紅葉で都人あこがれの名所だった。 じつは夢窓は大の桜好き。彼の桜への熱い思いは、多くの和歌に託されている。例えばこんな歌がある。 「見る程は世の憂きことも忘られて隠れ家となる山桜かな」 (桜を見ている間だけは世の中のつらいことも忘れることができ、山桜自体が俗世間から切り離された隠れ家となるのだ)。 西芳寺には時の天皇も訪れた。そんなときには桜を見ながら歌の贈答を楽しんでいる。 「花ゆへに御幸(みゆき)に逢へる老いが身に千年(ちとせ)の春を猶(なお)も待つかな」 (桜のお蔭で天皇をお迎えすることができましたが、年老いた私は永遠に繰り返される春の桜をいつまで待つことができるでしょうか)。 禅僧という