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昔は紙幣にも印刷されたタイ北部の街ナーンの名刹ワット・プーミン : 最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~
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910 昔は紙幣にも印刷されたタイ北部の街ナーンの名刹ワット・プーミン カテゴリ:【Thai タイ】Nan ナ... 910 昔は紙幣にも印刷されたタイ北部の街ナーンの名刹ワット・プーミン カテゴリ:【Thai タイ】Nan ナーン チェンマイから東に約200km、ラオスに面するナーン県の首府でもあるナーンの街は、山間の盆地に発達した小さい街であるが、14世紀にタイ北部にあったラーンナータイ王国時代から栄えている歴史のある街だ。 ナーンの名刹であるワット・プーミンもランナータイ時代の1596年に建てられたという。タイの中部から南部にかけてはアユタヤー王朝が栄えていた時期である。日本で言えば戦国時代末期、豊臣秀吉が統一を成し遂げた後であるが、秀吉も2年後には死去し、4年後には関ヶ原の戦いが起こる。 この寺院の姿は、昔の1バーツ紙幣の柄としても採用されたことでも知られている。第二次世界大戦後まもない頃のことである。美しく均整のとれた佇まいを見て、私は日本で長らく十円玉の模様に採用されている宇治の平等院鳳凰堂を