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ニューヨークで活動した写真家が老舗蕎麦店を継承 本家尾張屋十六代・稲岡亜里子さん 前編|京の人に聞きました|そうだ 京都、行こう。
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ニューヨークで活動した写真家が老舗蕎麦店を継承 本家尾張屋十六代・稲岡亜里子さん 前編|京の人に聞きました|そうだ 京都、行こう。
本家尾張屋は寛正6年(1465)、応仁の乱の前々年に菓子司として創業しました。禅宗の広がりとともに、禅... 本家尾張屋は寛正6年(1465)、応仁の乱の前々年に菓子司として創業しました。禅宗の広がりとともに、禅寺で蕎麦が食べられるようになり、その賄いのために菓子屋が寺院に出向いて蕎麦打ちの手伝いをしたとのことです。以来、本家尾張屋では和菓子と蕎麦の両方に携わってきました。江戸時代になると蕎麦は「むしやしない」(空腹時のちょっとした食事)として庶民にも愛されるように。尾張屋の蕎麦の評判は高まり、御用蕎麦司として宮中へも蕎麦を作りに上がっていました。現在の場所には130年ほど前に移り、風格ある建物が蕎麦の味とともに印象的です。 稲岡亜里子さんは本家尾張屋の16代目。アメリカで写真の勉強をし、10年以上プロの写真家として活動していましたが、今年、家業を継ぐ決断をし、京都へ帰ってきました。540余年の歴史を継ぐ決意や、京都への想いなど、お尋ねしました。 17歳で渡米し、カルフォルニアの高校を卒業した後、