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民可使由之。不可使知之。 - たけ(tk)の日記
08-09 子曰。民可使由之。不可使知之。(論語 泰伯第八 9)は 子(し)曰(いわ)く、民(たみ)はこ... 08-09 子曰。民可使由之。不可使知之。(論語 泰伯第八 9)は 子(し)曰(いわ)く、民(たみ)はこれ(民)に由(よ)らしむべく、これ(民)を知らしむべからず。 民衆は(君子に)民衆に由来する政治を行わさせることはできるが、 民衆は(君子に)民衆の実態を(言葉に表現して)知らせることはできない。 君子は民衆の状況を注意深く観察して民衆に由来する政治(仁政)を行うべきである。 しかし、民衆自身はそれを的確な言葉に表現して君子に伝えることはできない。 したがって、君子は民衆の言葉(ポピュリズム)に惑わされることなく、 注意深く民衆の状況を観察し、熟考して政治を行うべきである。という意味ではないだろうか? つまり仁政を呼びかけるとともにポピュリズムに陥らないように注意を喚起する文章ではないか? 読みは旧来のモノと変わらない。しかし、「これ」を「政」ではなく「民」であると理解した時点で意味が逆