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1940年、幻の東京オリンピック | 探検コム
1936年(昭和11年)7月31日、ベルリンの高級ホテル「アドロン」で、次回オリンピック(1940年の第12回オ... 1936年(昭和11年)7月31日、ベルリンの高級ホテル「アドロン」で、次回オリンピック(1940年の第12回オリンピック。第11回はベルリン)の開催地が決定されようとしていました。 午前10時、ホテルの「鏡の間」には各国のIOC(国際オリンピック委員会)のメンバーが集まり、最終会議が始まりました。まず最初に、IOCの最古参委員である日本人の嘉納治五郎が挨拶します。 嘉納は、近代オリンピックはすべての国、すべての民族に開放されるべきだと高らかに宣言したあと、 「アジアの一角に全世界の若者が集まる時、世界は新しい平和への幕開けの時を迎えるであろう」 と演説を締めくくりました。この演説が委員の気持ちを揺さぶったのか、36対27という大差で次回の開催地が決まりました。破れたのはヘルシンキ(フィンランド)、そして勝ったのは、極東アジアの東京でした。