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「日本のミケランジェロ」石川雲蝶を見に行く
文化11年(1814年)、雑司が谷(現在の豊島区)の鬼子母神裏にあった「美濃屋」に男の子が生まれます。... 文化11年(1814年)、雑司が谷(現在の豊島区)の鬼子母神裏にあった「美濃屋」に男の子が生まれます。美濃屋は、酒屋だったとも、飾り金具屋だったとも言われますが、定かではありません。 男の子は安兵衛と名付けられます。後に、宮彫り(寺社の飾り彫り)の彫工として有名になる「石川雲蝶」です。 石川家は、松本城を築城した石川数正の同族だとも、江戸彫りの名門・石川家の門人だとも言われますが、こちらも定かではありません。 石川雲蝶は、若くして幕府御用勤になり、木彫りの腕をふるいます。おそらくは徳川家の霊廟の修理などにあたる官工だったのですが、20代半ば、暗雲が垂れ込めます。天保の改革によって、歌舞伎などの娯楽が厳しく制限されました。あらゆる贅沢が禁止されるなかで、神社の華美な装飾も制限されてしまったのです。 仕事が激減した雲蝶は、越後・三条の金物商である内山又蔵の紹介で、新潟に向かいます。又蔵は、三条