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中絶・堕胎・間引きの歴史 | 探検コム
民俗学者の柳田國男は、1887年(明治20)年から2年ほど、茨城県の利根川そばにあった長兄の家で暮らしま... 民俗学者の柳田國男は、1887年(明治20)年から2年ほど、茨城県の利根川そばにあった長兄の家で暮らしました。病弱で学校にも通えなかった柳田少年は、ある日、城跡にあった地蔵堂を覗いて、不思議な絵馬を発見します。その絵馬には、母親が出まれたばかりの我が子の首を絞め、間引きしている様子が描かれていました。 後に柳田は、『故郷七十年』にこう記しています。 《私の印象に最も強く残っているのは、あの河畔に地蔵堂があり、誰が奉納したものであろうか、堂の正面右手に一枚の彩色された絵馬が掛けてあったことである。 その図柄は、産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なものであった。障子にその女の影絵が映り、それには角が生えている。その傍に地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子供心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている》 その絵馬は、現在、徳満寺の本堂廊下に掲