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倫理的衝動としての欲動 - Freezing Point
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倫理的衝動としての欲動 - Freezing Point
『為すところを知らざればなり』p.456-8より。 繰り返し立ち返っている文章。 しかしながら、ヒステリ... 『為すところを知らざればなり』p.456-8より。 繰り返し立ち返っている文章。 しかしながら、ヒステリー的欲望、強迫神経症的要求、倒錯的享楽というこれら三つの倫理と並んで、第四の倫理的態度、欲動 drive の態度が存在する。 欲動に関するラカンのテーゼはある点にまで先鋭化している。 つまり、主体が「自分の欲動に関して道を譲っては」ならないということは適切ではない、欲動それ自身の地位が内在的に倫理的だ、というのである。 我々は生気論的生物学主義の正反対のところにいるのだ。 欲動を最も適切に例証化するイメージは、「盲目的で動物的な繁茂」ではなく、失われた大義の記憶に繰り返しあたりをつけるよう我々を強いる倫理的衝動なのである。 肝心なことは過去のトラウマをできるかぎり正確に想起することではない。 そんな「証拠調べ」はア・プリオリに間違っている。 そんなものはそのトラウマを中立的で客観的な事実