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怒りの区別 何かが起こった時に、それが理不尽であれば黙っていてはいけない。しかし、黙っていないで何... 怒りの区別 何かが起こった時に、それが理不尽であれば黙っていてはいけない。しかし、黙っていないで何とかしなければならないと感じる時、私憤によっては問題を解決することはできない。 何とかしなければならないと思った時に起こる感情、問題解決に必要な感情は、「私憤」ではなく、「公憤」である。私的で衝動的、感情的な憤りは無益だが、社会正義に照らし、間違っていることは間違っていると主張することは必要であり、そうしなければならないと思う人が抱く感情は「公憤」である。 私憤は対人関係においてまったく必要がないものである。「私憤」がどのようなものであり、その感情をどうすればいいのかを最初に考えてみよう。 小学生の頃教室ですわっていたら、いきなり同級生に殴られかけたことがあった。一体その時に何があったかは今となっては覚えていない。殴られたのではなかったかもしれないが、私は怒りを感じ腕を振り回してやり過ごそうと
2021/11/09 リンク