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猛将・島津義弘公終焉の地!『加治木島津屋形』【秋の鹿児島旅行記】⑭ - 旅人サイファのお出かけブログ
こんにちは!旅人サイファです。 昨年行きました【秋の鹿児島旅行記】も、最後の立ち寄りスポットの紹介... こんにちは!旅人サイファです。 昨年行きました【秋の鹿児島旅行記】も、最後の立ち寄りスポットの紹介となりました。この後は、鹿児島空港近くの妙見温泉に宿泊して、翌朝の飛行機で東京へ戻ります。 最後に立ち寄ったのは…ここ!鹿児島県立加治木高等学校です。え。高校? そうなんです。ここ、県立加治木高校は実はかつて島津の殿様の隠居屋形があった場所なのです。そのため、高校の周囲は見事な石垣で囲われています。 切石を使ったかなり高度な石垣がずらり! ここに住んでいた殿様とは、戦国最強とも言われる、かの「島津維新公」…関ヶ原の戦いとその突撃撤退戦を指揮した「島津義弘」その人です。 関ヶ原の戦いの後、家督を長男の島津忠恒(後に家康の一字をもらい家久と改名)に譲り、自らはここ、加治木に隠居屋形を作り移り住みました。 維新公が屋形を築く前には、ここの背後の山には「加治木城(かじきじょう)」がありました。島津家と
2022/02/19 リンク