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一本足の蛸 - 理解のパラドックス、または疑似パラドックス
物語が、モノを語ることなら。語る相手がいる場合それはコミュニケーションになってしまう。 「メッセー... 物語が、モノを語ることなら。語る相手がいる場合それはコミュニケーションになってしまう。 「メッセージなんて意味がない」と言ったらそれが新しい「メッセージ」になってしまうじゃないけど『相互理解を信じてない』というものを物語の意味にこめて、それが相手に伝わったら相互理解がありえない事を相互で理解してしまうつー皮肉は生じそう。言葉の意味を理解する、科学理論を理解する、思想潮流を理解する、などなど、理解の対象にはいろいろあるが、「相互理解」という言葉の場合は、AがBを理解し、BがAを理解するということなので、理解の対象は人格ではないか。相互理解を信じていない人がいても、その「相互理解を信じてない」ということが、その人の人格そのものと同一視できるものでなければ、「相互理解を信じてない」ということは相互理解の対象にならないような気がする。今は「気がする」だけだが。 そういえば、チェスタトンの短篇になん
2006/09/06 リンク