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大栗裕を追悼する演奏会の記録 - 仕事の日記
[1980年代から90年代に吹奏楽で大栗作品が広まった経緯のまとめを付記。] 一つ前のエントリーで、大栗裕... [1980年代から90年代に吹奏楽で大栗作品が広まった経緯のまとめを付記。] 一つ前のエントリーで、大栗裕に「触媒」のようなところがあったかもしれないと書きましたが、1982年4月18日に大栗裕が亡くなったあとの数々の追悼演奏会は、大栗裕が人とのつながり、おつきあいを大切にし、愛されていたことを教えてくれるように思います。 4/20の没後30年演奏会は「蘇る大阪」と銘打っていますが、大阪の数々の華やかな行事で彩られた表の顔を振り返るだけでなく、大栗裕の周りにあった人のつながりに、再び血が通うような感じがあるようにも思っております。 考えてみれば、周忌法要というのは、そういうものですね。 ●故大栗裕告別式 葬儀委員長:竹内光男、喪主:大栗芳子、1982年4月20日、寝屋川玉泉院 (大栗裕は4月18日に亡くなって、告別式は2日後の20日。京都女子大学学長と大阪フィルハーモニー交響楽団音楽総監督